大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成4年(行ウ)201号 判決

原告

大竹雄三

右訴訟代理人弁護士

古川景一

被告

中央労働基準監督署長山田俊郎

右指定代理人

渡邉和義

藤崎清

倉下勝司

嬉野久子

田中正昭

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が昭和六二年四月一七日付けで原告に対してなした労働者災害補償保険法による障害補償給付の支給に関する処分を取り消す。

第二事案の概要

一  原告は、昭和二四年一月一八日生まれであり、株式会社セイビに勤務してビル・メンテナンスの業務に従事していたものであるところ、昭和五五年一〇月二四日配属場所の銀座明治屋ビルにて低圧配電盤の点検作業に従事中感電事故に罹災して、両上肢と顔面に火傷を負い、直ちに病院に収容された(以下「本件災害」という。)

二  原告の受けた右傷害は昭和五六年四月三日に治癒したので、原告は、昭和六一年三月一五日に被告に対し労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく障害補償給付支給の請求をした。被告は、昭和六二年四月一七日、原告に残存する障害は労災保険法施行規則別表第一に定める障害等級(以下「労災障害等級」という。)の一二級に該当するとして、同等級に応ずる障害補償給付を支給する旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

三  原告は、本件訴訟において、本件災害の結果原告に残存した障害は労災障害等級の七級の三「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労働に服することができないもの」に該当すると主張し、本件処分の取消を求めている。

第三当事者の主張

一  原告の主張

1  原告が負っている後遺障害の内容

(1) 原告は、本件災害の結果次のとおりの後遺障害を負った。

〈1〉 麻痺

外観 弛緩性

起因部位 末梢神経性

種類及びその程度 知覚麻痺(鈍麻)

反射 左上肢及び右上肢やや減弱

〈2〉 握力 左 六・五キログラム

右 六・五キログラム

〈3〉 関節運動筋力

左手関節背屈 半減

左手関節掌屈 半減

右手関節背屈 半減

右手関節掌屈 半減

〈4〉 日常動作の障害(一人でできてもうまくできない場合)

つまむ(新聞紙が引き抜けない程度) 左・右

握る(丸めた週刊誌が引き抜けない程度) 左・右

タオルを絞る(水を切れる程度) 両手

ひもを結ぶ 両手

(2) 原告は、本件災害発生前は、ビルメンテナンスという通常の職についていた者であるところ、右後遺障害により労働能力を著しく喪失したため、作業速度(能率)に応じて賃金を支払うことが可能であり、労働能力を大きく喪失した身体障害者向きの職種と考えられている写植という印画紙現像等の軽作業への就労を余儀なくされた。

2  労災障害等級によれば、「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労働に服することができないもの」は七級の三に該当するものとされているところ、被告は、「末梢神経の障害の認定は原則として損傷を受けた神経の支配する身体各部の器官における機能障害にかかる等級を準用する」との行政解釈を根拠として、原告の前記後遺障害は末梢神経の障害にかかるものであるから、神経系統の機能の障害として右等級による障害認定をすることはできない旨主張している。

しかしながら、神経系統という用語は中枢神経のみならず末梢神経を含むものであり、被告の右主張は主張自体矛盾している。のみならず、厚生年金保険制度及び労働者災害補償保険制度の歴史的沿革及び制度的共通性に照らすと、労災障害等級における障害の程度の評価と区分は、自用を弁ずることの可否と労働能力喪失の程度を主要な判断基準としている。殊に、リハビリテーション医学の発達とともに障害概念も著しく発展し、障害概念を、〈1〉機能障害(障害された部位又は機能に着目し生物学的なレベルでとらえた障害)、〈2〉能力障害(個体としての遂行可能な能力に着目し人間個体のレベルでとらえた障害)、〈3〉社会的不利(社会的存在としての障害者のもつ不利に着目し社会的レベルでとらえた障害)の三つのレベルで理解するようになったのであって、現に、昭和五〇年改正にかかる現行の労災障害等級においては、右障害概念の発展過程に対応して、神経系統の障害につき、従前の障害等級における障害評価方法である「機能障害に着目した評価方法」とは異なるレベルの障害評価方法である「能力障害と社会的不利に着目した評価方法」が採用され、自用の弁じることの可否と労働能力の残存する程度を総合判断してその障害等級を判定することとなっている。

さらに、本件における原告の障害は両手関節より抹消での知覚神経の伝達速度の低下に起因する手指の巧緻性の欠如と両手の握力の低下であって、他の部位に機能障害がある場合と比較して、その能力障害と社会的不利の程度は高度なものとならざるを得ない。

従って、本件において前記行政解釈に従った障害等級の認定をすることには何ら合理性がなく、神経系統の後遺障害としてその労働能力に基づき労災障害等級を決定すべきであるから、原告が前記1(2)のとおり軽易な労務以外の労働に服することができない以上、原告の後遺障害は労災障害等級の七級の三に該当する。

3  社会保険庁長官は、昭和六一年九月一八日、原告の前記後遺障害が厚生年金保険法に基づく障害厚生年金の障害等級三級一二号に該当すると判定し、これに対応する障害厚生年金を支給する旨の裁定をした。障害厚生年金の障害等級三級一二号は「身体の機能に、労働が著しい制限を受けるか、又は、労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの」であり、社会保険庁長官は、原告の労働能力障害の程度について、このように高度なものであると認定したものである。

一方、原告に適用された労災障害等級一二級の一二(局部にがん固な神経症状を残すもの)においては、その後遺障害は通常の労働に差し支えがないものと解されているのである。

しかしながら、厚生年金保険法に基づく障害厚生年金と労災保険法に基づく障害補償給付は、生存権補償のために障害状態を適正に評価してこれに応じた所得補償をする点で共通しているところ、このような共通性を有する両制度において原告の労働能力喪失の程度という同じ事項につき矛盾する判断がなされるべきではない。

4  本件処分の前提となった資料の収集方法の違法性

被告は、東京労災病院の佐野豊医師の鑑別診断の結果、佐野医師より原告の後遺障害が労災障害等級の九級に該当するとの昭和六二年二月六日付け意見書(以下「佐野意見書」という。)を得た。しかし、被告は、「判定困難」との理由で、更に、東京労働基準局地方労災医員である青木敏雄医師に意見を求め、同年三月三〇日に青木医師から一二級該当との意見書(以下「青木意見書」という。)を得、青木意見書を採用して同年四月一七日付けで本件処分をした。

右佐野医師と青木医師の検査を比較するに、佐野医師は労災専門病院であり設備の完備している東京労災病院において末梢神経伝導速度の測定や握力測定その他の検査をしているのに対し、青木医師は原告に二分程度の面接しか行わず、週刊誌を丸めたものを原告に握らせて引っ張る以外に何らの検査もしていない。それにもかかわらず、被告は青木医師の一二級該当との意見を採用したのであって、被告は、客観的資料に基づく判定をする意思を持たず、行政の結論に合致した医師の意見のみを資料として本件処分をしているといわざるを得ない。

5  以上によれば、原告の前記後遺障害が労災障害等級の七級の三所定の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労働に服することができないもの」に該当することは明らかである。従って、これを一二級の一二所定の「局部にがん固な神経症状を残すもの」と判定し、同等級に応ずる障害補償給付を支給する旨の本件処分には原告の前記後遺障害に対応する労災障害等級の判断を誤った違法がある。

二  原告の主張に対する認否及び被告の主張

1  原告の障害状態に関する医学的資料としては、本件災害直後に診察を受けた銀座菊地病院の藤沢医師作成にかかる昭和六一年三月一四日付け診断書、東京厚生年金病院の石川医師作成にかかる同年三月二五日付け診断書(以下「石川診断書」という。)、東京労災病院の粟国医師作成にかかる同年一〇月七日付け診断書、佐野意見書及び青木意見書があるところ、原告の主張1は右石川診断書のみを基礎としているものである。しかしながら、右各診断書等に記載された原告の握力、日常動作の障害に関する障害状態は、これらを客観的に測定することが困難なこともあり、一定していない。

従って、原告の主張1のうち、(1)の麻痺にかかる外観、起因部位、種類及びその程度、反射の各診断結果については認めるが、その余については不知である。

2  労災障害等級における「神経系統」が脳、脊髄のような中枢神経を意味するのは、中枢神経の機能障害によって現れる臨床症状が通常局部にとどまらず多岐にわたることから、諸症状を個別的に評価するのではなく、総合的に判断して障害等級を認定することが合理的だからであり、他方、末梢神経の機能障害は、損傷した末梢神経の支配する部位のみに神経症状が現れるに過ぎず、かかる機能障害については当該部位の局部の神経症状として評価することが合理的だからである。

従って、労災障害等級における「神経系統」には原則として末梢神経は含まれないと解するのが相当である。もっとも、末梢神経の機能障害により臨床症状が多岐にわたるような場合には、これを「神経系統」の機能障害として評価することができるが、原告の障害状態はこれに該当しない。

よって、原告の本件後遺障害につき労災障害等級七級の三を適用する余地はない。

3  労災保険法における障害補償給付は、業務上の傷病にかかった労働者に後遺障害が残存したために労働能力が低下した場合に、これを補償し、その程度に応じて補償するものであることから、労働能力の低下の度合いに応じて障害等級が細分化されて障害の状態が具体的に規定されている。これに対し、厚生年金保険法における障害厚生年金は、傷病にかかった一定の被保険者が一定の障害認定日において障害の状態にあれば、労働者の生活の安定のため、その程度に応じて支給するものであり、障害等級は三等級に分かれているにとどまるのみならず、各級の障害状態も抽象的に規定されている。

このように、障害にかかる給付制度の趣旨、目的が異なる以上、障害等級における障害の状態の意味内容、判断基準も異なるのであり、障害厚生年金においてある一定の障害等級が認定されたことをもって、労災の障害補償給付における障害等級の認定においても、障害厚生年金の障害等級にかかる障害の状態と同じ障害の状態を規定している障害補償給付の障害等級に認定すべきであるとはいえない。

4  被告が佐野意見書を採用しなかった理由は、右意見書が、末梢神経の伝達速度の低下をもって神経系統の機能に障害を残した状態であると判定している点において労災障害等級についての解釈を誤っていたからである。

5  被告は、原告の後遺障害のうち、顔面及び両手の瘢痕については労災障害等級一四級に該当すると判断し、また、両手のしびれ感や握力の低下については、これが前記のとおり神経系統の障害でない以上、上肢又は両手指の機能障害の内容を検討する必要があるところ、右障害程度は障害等級を認定する基礎となる障害程度に該当せず、ただ、青木意見書に基づき局部にがん固な神経症状を残すもとして一二級の一二に該当すると判断して本件処分をしたものであって、右処分には原告の後遺障害に対応する労災障害等級の判断を誤った違法はない。

第四当裁判所の判断

一  本件災害の結果、原告の両手関節より末梢における知覚神経伝導速度が低下し、原告の左上肢及び右上肢に弛緩性の末梢神経性知覚麻痺(鈍麻)が残存するとともに、右各部位の反射がやや減弱したことは当事者間に争いがない(以下「本件麻痺」という。)。

二  労災障害等級表は、その規定の表現から明らかなように、身体をまず解剖学的見地から部位に分け、次にそれぞれの部位における身体障害を機能の面に重点を置いた生理学的観点からいくつかの障害群に分け(これを「障害の系列」という。)、更に右各障害をその労働能力喪失の程度に応じて一定の順序に配列している(これを「障害の序列」という。)。そして、労災障害等級表における神経系統の障害の系列及び障害の序列は、「神経系統の機能に著しい障害を残し、常に介護を要するもの」(一級の三)、「神経系統の機能に著しい障害を残し、随時介護を要するもの」(二級の二の二)、「神経系統の機能に著しい障害を残し、終身労務に服することができないもの」(三級の三)、「神経系統の機能に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(五級の一の二)、「神経系統の機能に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」(七級の三)、「神経系統の機能に障害を残し、服することのできる労務が相当な程度に制限されるもの」(九級の七の二)と規定されており、その労災障害等級該当性は神経系統の機能の障害の程度のほか、介護を要する程度及び労働能力喪失の程度により決定されるものとされている。

三  原告は、本件麻痺が神経系統の労災障害等級表に規定された機能障害に該当することを前提として、原告の介護を要する程度及び労働能力喪失の程度によって、その労災障害等級を決定すべきであると主張するので、本件麻痺が労災障害等級表に規定された神経系統の機能障害に該当するか否かが、本件における第一の争点ということになる。なお、医学的意味における神経系統という概念が末梢神経を含むものであることは明白であるが、そのことから当然に労災障害等級表における神経系統も末梢神経を含む概念であるとの結論を導くことはできず、当該制度の趣旨及び目的、規定の内容及び構成その他諸般の事情を総合して、労災障害等級表における神経系統の意義を確定すべきものである。

四  厚生年金保険法四七条二項所定の障害等級(以下「厚生年金障害等級」という。)は一級から三級に分類され、各等級の内容は厚生年金保険法施行令三条の八に基づく別表及び別表第一によって定められているが、その内容は労災障害等級表の内容と比較すると明らかに簡素であるばかりでなく、「前各号に定めるもののほか、身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする病状が前各号と同程度以上と認められる状態であって、日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のもの」(一級の九)、「精神の障害であって、前各号と同程度以上と認められる程度のもの」(一級の一〇)、「身体の機能の障害若しくは病状又は精神の障害が重複する場合であってその状態が前各号と同程度以上と認められる程度のもの」(一級の一一)、「前各号に定めるもののほか、身体の機能の障害又は長期にわたる安静を必要とする病状が前各号と同程度以上と認められる状態であって、日常生活が著しい制限を受けるか、又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの」(二級の一五)、「精神の障害であって、前各号と同程度以上と認められる程度のもの」(二級の一六)、「身体の機能の障害若しくは病状又は精神の障害が重複する場合であってその状態が前各号と同程度以上と認められる程度のもの」(二級の一七)、「前各号に掲げるもののほか、身体の機能に、労働が著しい制限を受けるか、又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの」(三級の一二)、「精神又は神経系統に労働が著しい制限を受けるか、又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの」(三級の一三)等、身体の機能障害であると精神又は神経系統の障害であるとを問わず、一般的に日常生活の用を弁することの可否及び労働能力喪失の程度により厚生年金障害等級を判定することができる構造となっている。これに対し、労災障害等級における障害の分類は一四〇種に類型化されており厚生年金障害等級に比べて詳細であるばかりでなく、その内容は、身体障害をまず解剖学的観点から、眼(眼球、眼瞼)、耳、(内耳等、耳介)、鼻、口、神経系統の機能又は精神、頭部、顔面、頸部、胸腹部臓器(外生殖器を含む)、体幹(せき柱、その他の体幹骨)、上肢(上肢、手指)、下肢(下肢、足指)に区分し、これを生理学的観点から更に三五種の系列に細分し、右系列ごとにその労働能力喪失の程度に応じて序列付けをしている。そして、右労働能力喪失の程度については、原則として「一手の母指を失ったもの」というように具体的・客観的な機能障害の態様でこれを表現しており、「労働が著しい制限を受ける」等直接的に労働能力喪失の程度を序列の基準とする構造とはなっていない。この労災障害等級表の構造によれば、労災障害等級は、原則として具体的・客観的な機能障害の態様に基づいて判定されることになる。なお、原告は、労災保険法施行規則一四条四項は、厚生年金障害等級三級一二号以下と同様抽象的な障害状態を規定したものである旨主張するが、問題は、単に規定の表現が抽象的かどうかということではなく、障害等級を具体的・客観的な機能障害の態様で規定するか、端的に労働能力喪失の程度によって規定するかということであり、労災保険法施行規則一四条四項は、労災障害等級表に規定された障害等級の内容を前提として、これに当てはまらないものについて同表に掲げる身体障害に準じてその障害等級を定めることを規定したものにとどまり、端的に労働能力喪失の程度によって障害等級を規定する方法を一般的に採用する趣旨のものではないというべきである(仮にそのような趣旨のものであるとすれば、労災障害等級表において明確に規定されるべきものである。)。

五  労災補償保険制度と厚生年金保険制度はいずれも労働者の福祉の増進ないし向上をその目的とする点で共通した面を有する制度であるが、厚生年金保険制度における障害厚生年金給付が、右障害が業務に起因するか否かを問わず、傷病にかかった被保険者が障害認定日において障害の状態にあれば、労働者の生活保障及び所得保障をするものであって、事業主と労働者が折半して費用を負担するのに対し、労災補償保険制度における障害補償給付は、業務上の傷病にかかった労働者が後遺障害のために労働能力が低下した場合にこれを補償するものであって、専ら事業主が費用を負担することとなっており、前記四における障害等級表の構造の相違はこのような両制度の趣旨・目的の相違に起因するものと考えることができる。すなわち、機能障害はこれを医学的・客観的に特定することができるものであるが、ある労働者が労働能力(この場合の労働能力は、もとより一般的な平均的労働能力をいうのであって、被災労働者の年令、職種、利き腕、知識、経験等の職業能力的諸条件を考慮した個々具体的な労働能力ではない。)をどの程度喪失したかということは、被災労働者の機能障害の態様のみならず、社会全体として障害者の雇用機会がどれだけ確保されているか、ひいては社会全体の福祉のあり方によって決定されるはずであって、その意味では価値的かつ社会的概念であるといわざるを得ない。そして、このような価値的かつ社会的概念に基づく生活保障及び所得保障は、労災保険制度に基づき事業主のみの負担によってこれを行なうよりも、厚生年金保険制度に基づき事業主及び労働者の負担によってこれを行なうのが合理的なのである。

もっとも、前記労災障害等級一級の三、二級の二の二、三級の三、五級の一の二、七級の三及び九級の七の二においては、神経系統の機能障害及び労働能力喪失の程度を総合判断してその障害等級を判定することとなっているので、その労災障害等級における位置付けが問題となるが、前記労災保険制度の趣旨・目的及び労災障害等級の基本構造に照らすと、神経系統の機能障害により現れる臨床症状が局部にとどまらず全身的症状として多岐にわたる場合には前記労災障害等級の基本構造に従い解剖学的に分けた部位ごとに諸症状を個別的に評価する方法によりその障害等級を決定することが困難であるという理由から、労災障害等級において神経系統の障害につき右のような規定が設けられたものと解するのが相当である。したがって、右各規定における「神経系統の機能障害」とは、これによる臨床症状が全身的症状として多岐にわたるような神経系統の機能障害(脳、脊髄のような中枢神経の機能障害)を意味するのであって、その支配する部位のみに神経症状が現れるに過ぎない末梢神経の機能障害は、労災障害等級における神経系統の機能障害に該当せず、原則として当該部位の局部的な神経症状として把握すべきものである(もっとも、末梢神経の機能障害により臨床症状が多岐にわたって現れる場合には、これを中枢神経の機能障害と同様に取り扱うことになる。)。

六  右の見地から本件麻痺が労災障害等級における神経系統の機能障害に該当するか否かを検討するに、一で認定したとおり、本件麻痺は末梢神経の機能障害であり、かつ、その臨床症状の現れる部分も左右上肢に限定されているのであるから、これを労災障害等級における神経系統の機能障害であるということはできず、左右上肢の機能障害にかかる等級をもって労災障害等級を判定すべきものである。

原告は、厚生年金保険制度と労災補償保険制度の歴史的沿革及び制度的共通性のほか、障害を第三の一2で記載した三つのレベル(機能障害、能力障害、社会的不利)で把握すべきことを前提として、本件のように末梢神経の機能障害に起因して手指の巧緻性障害がある場合には労災障害等級表における神経系統の障害に関する規定を適用してその労働能力に基づき労災障害等級を決定すべきであり、更に、手指の巧緻性の障害の場合には一般的に能力障害と社会的不利が高度であるところ、社会保険庁長官が原告の障害につき厚生年金障害等級三級一二号に該当するとの判定をしていることを考慮すると、原告の障害の状態と程度は、労災障害等級についても、「身体の機能に、労働が著しい制限を受けるか、又は労働に著しい制限を加えることを必要とする程度の障害を残すもの」と判定すべきであって、原告の障害は労災障害等級七級の三に該当すると主張する。しかしながら、本件麻痺が労災障害等級表における神経系統の機能障害に該当しないと解すべきことは既に述べたとおりであって、原告の右主張は現行の労災障害等級の規定の解釈として相当なものとはいえず、これを採用することはできない。

なお、本件麻痺につき左右上肢の機能障害にかかる等級をもって労災障害等級を判定すべきものである以上、これをもって厚生年金障害等級三級一二号に相当する労災障害等級に該当するとの判定をすべきであるとの原告の主張は、要するに、左右上肢の機能障害の場合において、その機能障害の具体的態様を基準としてではなく、端的に労働能力喪失の程度を基準として障害の序列を決定すべきことを主張することに帰着するのであって、これが既に述べた労災保険制度の趣旨・目的及び労災障害等級の基本構造に照らし採用できないことは明らかである。

七  佐野意見書は、本件麻痺につき「当院整形外科にて末梢神経伝導速度の測定を行い、両手関節より末梢での知覚神経に軽度の伝達速度低下が見られた。また、両手の握力が軽度低下しており、このため服することのできる労務が相当に制限されると考えられる」としたうえ、これが労災障害等級九級の七の二に該当すると判断しており(〈証拠略〉)、本件麻痺が神経系統の機能障害に該当することを前提としていることは明らかであるところ、右に述べたとおり本件麻痺についてこれを労災障害等級における神経系統の機能障害であると解することができない以上、被告がこれと異なる見解を前提とする佐野意見書を採用しなかったことには合理的理由がある。

八  石川診断書(〈証拠略〉)、佐野意見書、青木意見書(〈証拠略〉)及び原告が作成にかかる障害等級認定予診票(〈証拠略〉)によれば、原告の両上肢に残存した障害の状態は、両上肢末梢神経の障害による本件麻痺のほか、握力及び両手関節筋力が低下し(両手指の可動領域は正常)、つまむ、握る、タオルを絞る、ひもを結ぶ等の日常動作の一部については時間がかかり上手にできないというものであることが認められる。そして、労災障害等級表の定めるところによれば、本件麻痺は「局部の神経症状」(一二級の一二又は一四級の九)に該当すると考えられるものの、握力及び両手関節筋力の低下並びに日常動作の障害は労災障害等級の定める上肢の障害のいずれにも該当しない(神経系統の機能障害において労働能力喪失の程度を判定する際には右各症状も当然考慮の対象となるが、本件麻痺が労災障害等級における神経系統の機能障害に該当しないことは前記のとおりである。)。しかしながら、本件麻痺と右各症状を総合考慮すると、原告の両上肢にはがん固な神経症状が残るものと認めるのが相当であり、原告に残存した両上肢の障害は労災障害等級一二級の一二に該当するというべきである。

被告は、本件災害により原告に残存した後遺障害のうち、顔面及び両手の瘢痕は労災障害等級一四級に、本件麻痺及び握力の低下等については同一二級の一二に該当すると判断して本件処分をしたものであるから、本件処分につき労災障害等級の判定を誤った違法はない。

九  よって、原告の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 山之内紀行)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例